CATHARSIS
2010 . 11 . 27 (Sat) - 12 . 11 (Sat)
企画者の言葉

作品を見た時、眼前で何が起こっているのかを理解するのに数秒を要した。 見たことのあるイメージ。けれど何かが明らかに違う。 目の前で見えないはずのものが触れられるかのように、ゆらゆらと揺れながら凛としてそこに存在していることに驚き、その光のなかに見入ってしまうのである。 見入っているうちにその光が自分の底の暗い所を温かく照らしてくれる。 輝きを外側に感じながら、その光が自分の中にも輝いていることを感じることの出来る作品だ。
青木氏は、一貫して実像と虚像の間、もしくは過去の自分と未来の自分の両側から映し出される実像と虚像の両面をもつ”今”の自分を作品によって捉えようとしている。 見えない物を可視化したこと、それを”今”としたのである。 今回の展示作品は、未来への不安と、過去のしがらみを集め炎上させる。 この昇華によって ”今” 共にある聖なるものを感じさせる作品になっている。
今、放つ者へと

平原 なつこ (gallery art synapse 代表)
Statement

ボクはいつも眠る前にある儀式をしている。
それは、夢を見るための入り口、きっかけをつくる作業だ。想像するのは現実を少しだけつくり替えた世界、そして未来の自分。例えば「過去の生き方の何かがひとつ変わっていれば、やってくる現在はより良いものになっていたはずだ」と、そんな具合に過去のひとつひとつの何かを書き換えては、現在から未来につなぐ想像をめぐらしている。時には脱線して、まるでハリウッド映画ばりのアクションをかましている事もあるが、ここでは関係ないから話を戻そう。そんな毎夜の作業が繰り返され、少しずつボクはつくられてきたようだ。
つまりこれは、ボクにとって自分が自分である事を求める為の手段なのかもしれないと思う。過去は今のボクを批判し、未来はこんなボクに希望を与える為の存在。その決して触れる合う事のない差延を先送りする舵取りを、ボクはこうして探しているんだ。そんなフリーハンドで描く、行ったり来たりの歩幅の線が、少しずつ濃くなり、時に道を外しながら移動し、ボクをカタチづくっている。
ならば、作品とはそんな軌跡の中から飛び出した、鉛筆の芯のようなものかもしれない。

青木 意芽滋
2010 . 02 . 03